「自己責任」ってそういう意味だったのか! 奥が深いぞ、アサーティブ・コミュニケーション

コーチング

こんにちは。「100年、幸せに生きる!」を信条に、日々学びを深めている北村ナナです。オトナの学びはフリースタイル。時間や社会にとらわれず、幸福に好奇心を満たしていけるなんて、ホントよいご身分です(いい意味で)。

そして、長い(かもしれない)人生を幸せに生きるために役立ちそう!と感じた情報や知識をシェアすることで、多くの人が幸せに生きられる社会にしていけたらな、という野望を持っています♪

最近、好奇心の赴くままに学び始めたことの一つが「アサーティブ・コミュニケーション」。1950~60年代、米国で起こった公民権回復運動(黒人解放運動)を通じて広まったコミュニケーション手法なのだそうです。月に2回、ハート・ラボ・ジャパンの知識茂雄先生からオンラインで学んでいるんですが、前回の講座で学んだ「アサーティブ・コミュニケーションの4つのキーワード」が非常に奥深かったのでシェアします!

アサーティブ・コミュニケーションとは?

「我々は、黒人である自分たちを尊重するのと同時に、白人であるあなた方を尊重します」

この姿勢が、アサーティブ・コミュニケーションの原点。「自分と相手を同時に尊重する」姿勢で、お互いの間に対等な感覚を築く効果があります。弱者は声を挙げやすくなり、強者は弱者の声を聞き入れやすくなります。対等ですからね。聞き入れざるを得ない、聞き入れる方が心地よい、自然だと感じる、聞き入れてもプライドが傷つかない、聞き入れるようそっと促される(ナッジ)──そんな魔法がかかります。

声を挙げる側も、自分を抑え過ぎず、卑屈にならず、でも「強者には何を言ってもいい」とばかりに攻撃的・暴力的にもならずに、自己を表現します。対等ですものね。

私自身の話をすると、目上の人、特に男性に対するコミュニケーションに苦手意識があります。遠慮して主張できず我慢した挙句に爆発する、というパターン。なんで普通にふるまえないのだろうかと悩み、苦痛に感じていましたが、どうやら自分を弱者と思っていたようです。同時に、年長男性に強者であるかのようにふるまわれると、自分が弱者のポジションを「自ら進んで」取りに行ってしまう、という感覚もあります。

心のクセから抜け出すのは、一筋縄ではいかない。でも、アサーティブ・コミュニケーションは確立された技法なので「型」があり、トレーニングで身につけることができます。いいなあ、救いがある。私、形から入るの得意だし。

アサーティブ・コミュニケーションの4つのキーワード

さて、このアサーティブ・コミュニケーションの本質を理解するためには、次の4つの概念がカギとなります。1つは、先に述べた「対等」。そして「率直」「誠実」「自己責任」の4つです。

対等(equality)

組織の中にいると、いやがおうでも指揮命令系統を意識させられますよね。上司と部下が対等、なんてありえない。上意下達、唯々諾々。

そういう立場の差があるからこそ、パワハラ、なんてことが起こるわけだし。

そう困惑していると、知識先生がおっしゃいました。

「ここでの対等というのは、立場の違いを超えた、人として、といった対等さです」。人として!

目上に対する対等感を持ちつつ、敬う気持ちは「敬語」で表現すればよいと。なるほど、それならできそうです。

率直(directness)

率直なコミュニケーション。英語でいうとダイレクト。直言?

「アサーティブ・コミュニケーションにおける『率直』とは、それを伝えられたときに相手が何をすればいいかがわかる、ということです」と知識先生。

例えば、一生懸命話をしているのに聞き流されて、自分が大事にされていない、と感じた場合。

「私のことを、もっと大事にしてください」

と伝えても、「大事にする」という言葉が意味するものがあいまいだから、相手は何をすればいいかがわからない。

そうではなく、

「私の話を、最後まで聞いてください」

と言えば、相手は何を求められているのかがはっきりわかる。

何に対して、どう感じたのかが整理されていないと、率直なコミュニケーションはできないのです」(知識先生)

誠実(honesty)

オネスティ。なんと孤独な言葉。反対語はuntrue。それはさておき。

コミュニケーションにおいて誠実であるとは

自分の本音を隠さず、自分の気持ちに正直でいる、ということ。

それが相手に対する誠実さなのだと。

おお……高度。

自分の本音、自分の気持ちに気づいていないと、誠実なコミュニケーションはできません」(知識先生)

例えば上のケースなら、

「一生懸命話をしたのに、聞き流された」ことに対して、

「自分が大事にされていない」と感じて、

その結果、どう思ったのか。寂しかった? 悔しかった? 空しかった? 悲しかった?……。

そこで沸き起こった感情が「自分の本音」。それを隠さないことが誠実なふるまいなのだそうです。

わーお。私、けっこう、「〇〇に対して■■と感じた」というところで止まっているぞ。本音って、その先だったんだ! 隠すも何も、そこまで突き詰めていない! 

そこを突き詰めずに「私の話を最後まで聞いてください」と言っても、要望は伝わるかもしれないけれど、本音、気持ちは見えてこない。それは相手に対して不誠実だ、という話なのです。

こりゃー、確かに、Everyone is so untrueだわ……。

演劇で「セリフに気持ちを載せる」というのはこういう意味なのかも。

「私の話を最後まで聞いてください」(寂)

「私の話を最後まで聞いてください」(悔)

「私の話を最後まで聞いてください」(空)

全部違うものね。私の心の中の北島マヤ、放っておいてごめんね!

自己責任(self-responsibility)

自己責任って、自分で思うのはいいけれど、相手に言われると「責任転嫁」されているように感じるのは私だけでしょうか……。国とか、政府とかの大きなものに言われるとなおさら。

ああ、いかん、いかん。これって弱者根性? 対等なコミュニケーションを考えるんだった。

ここでグループワーク。お題:「自己責任とは、どんな場面で発生するでしょうか?」

どんな場面?「発言には責任を持つ、とかいう話かなあ」「伝えた内容、伝えた結果起こったことに対して責任を取る?」「結果責任?」「でも、お題は『どんな場面?』だから、場面の話だよね」

なんて話し合っていたら、受講者のHさんが、

「何でも伝えるわけじゃないよね? ちょっとここまでは言いたくないな、とかで、伝えないこともあるじゃない?」

ああそうか。「伝える場面」ばかりじゃない。「伝えない場面」もある。そこにも責任を……

うわわわ。やばい。私、ここ、すごーく無自覚! 「熟慮の結果、伝えないことにした」なんてやってない。なんとなーく、伝えないでおこうかなー、くらいな。あるいは、言えるわけないじゃん!って終了!したり。ここ、私、「闇」があるわ。特定の相手、特定の状況で、「あーー、無駄」って、シャッターが下りる。しゅるしゅるっと、引く。コミュニケーションを切り捨てている。

暗然とした気持ちでグループワークから戻ると、「みなさんで話し合った結果はどうでしたか?」と知識先生。

「何かを伝える場面と、それから、伝えない場面にも、自己責任が発生しているという結論になりました」と受講者のTさん。

「そうですね。伝える、ということに対する責任だけでなく、伝えなかったことに対しても責任が発生する。ここは少しわかりにくいのですが、『伝えない』ということもコミュニケーションなのです」(知識先生)

…その発想はなかった。「伝える」ことがコミュニケーションで、「伝えない」ことはノンコミュニケーション、断絶、終了!みたいに思っていました。

「伝える/伝えない」という両方の場面で発生する自己責任とは、伝えるにせよ、伝えないにせよ、その結果は自分で引き受けるということ。だからこそ、伝えるか伝えないかを選択できるのだそうです。

「伝えないこともコミュニケーションだなんて、考えたこともありませんでした。『伝えないことを選択している』という意識も、まったくなかったと思います」。そう言うと、

「ナナさんのように『調和性』(ストレングスファインダー[クリフトンストレングス]の資質分類の一つ。ストレングスファインダーについてもいつか記事にしたいな)が上位の人は、伝えていないことを選んでいる感覚がない場合が多いですね。すると、伝えなかったことで起こることを自己責任として捉えられないので、相手への怒りが残ったりしがちです」と知識先生。た、確かに……。

自分の選択で生きる。それがアサーティブな生き方なのだと知識先生は言います。

そして。

自分の本音、自分の本当の感情に気づかないと、「伝える/伝えない」の選択に至らず、コミュニケーションを自己責任として捉えることもできないのだと。

おお……。「〇〇に対して■■と感じた」で止まっている場合じゃなかったんだ。「■■と感じた、そのため私は△△という感情を抱いた」というところまで進まないと、「伝えるか、伝えないか」を選ぶことすらできないんだ……。

がんばれ、私の中のマヤ。すべてにおいて突き詰めなくてもいいけれど(そんなの無理だし)、大切な人との大事な対話では、自分の感情をはっきりさせよう。「いま、どんな気持ち?」と。

次回の講座では、いよいよ「アサーティブな伝え方」について学びます。楽しみだな~❤

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