こんにちは。人生100年時代、長~い(かもしれない)残りの人生を自分らしく有意義に、ハッピーに生きたい!と日々学んでいるナナです。そして、「これって100年ライフを生き抜くために大事かも~!」と思った情報をシェアして、お互いに学び合う参加型勉強会「ふじさわ終活カフェ」を主宰しています。
先日、第7回のカフェを開催しました。テーマは「グリーフ」。あまり知られていない言葉かな、でもテレビドラマにも「グリーフケア」が出てきていたし、知名度上がっているのでは? と、あえてカタカナのままチラシに刷ったのです。
が、5人の参加者(50~60歳代の男女)に「グリーフっていう言葉、聞いたことありますか?」と伺ったところ、皆さん、「いいえ…」と首を横に振ります。えっ、そうなの? それじゃ「グリーフケア」は? えっ、ご存じない、本当に? そ、そうなのか。。。
いきなり自分の独りよがりを思い知らされる形でスタートした勉強会(汗)。でも、参加者の皆様の温かい気持ち、一緒に学ぼうという姿勢に支えられて1時間半の勉強会を無事、終えることができました。一般市民の視点から、また、医療記者、当事者の視点から、「グリーフ」「グリーフケア/サポート」について学び、まとめた内容をシェアします!
「喪失体験」がグリーフを引き起こす
グリーフ(grief)は「悲嘆」と訳される、深い悲しみを指す英語。同じ「悲しい」という感情を指す言葉にsadnessがありますが、griefは単なる悲しみではなく、「大切なもの、大切な人を失う」という「喪失体験」(loss)に伴って引き起こされる感情を指します。
自分にとって大切なものや人を失うと、普通の悲しみとはまるで性質の違う、生木を引き裂かれるような苦しみに襲われます。これを「グリーフ反応」と呼びます。グリーフ反応は、「全人的な(全人格的な、ホリスティックな、トータルの)反応」です(そういえば、この「全人的」っていうのも医療用語らしいですね)。喪失体験により、心だけでなく体も、社会的にも、そして霊的(スピリチュアル)にも大きなダメージを受けるのです。
…スピリチュアル、なんていうと怪しげに聞こえるかもしれませんが…自分の存在がゆるがされる、ばらばらになってしまう、根底からひっくり返る、魂が泣き叫ぶ、そういう反応です。
こんな言葉があります。「心はうそをつく、体はうそをつかない」。ひどいストレス下にあっても「これくらい、大丈夫」と心がうそをつくこと、よくありますよね。でも体はうそをつかない。「眠れない、頭が痛い、血圧が上がる」なんていう症状が出ます。そして…「魂はうそをつけない」。だからこそ、普通の悲しみとは全然違う、深く長い苦しみに見舞われるのです。
個人的な体験で言うと、母を亡くしたことが、なんでいつまでもこんなにつらいのか、と思っていました。でも、グリーフは普通の悲しみとは性質が違うものなのだと知って、私自身は「そういうことだったのか」と得心し、少し楽になれた気がしました。
100年ライフは喪失でいっぱい!
一般に「グリーフ」というと、配偶者や親、子どもなどの肉親と死に別れたことによって生じる感情を指します。でも、喪失体験は死別(ビリーブメント)に限ったことではありません。
例えば失業。職を失うと同時に、経済的な基盤、社会的な地位、日中の居場所、家庭内での立場などなど、多くのことを失うことがあります。
例えば病気。健康を失うことで、自立した生活、移動の自由、家族の中での役割…などを失うことがあります。
さらには…戦争。祖国を失い、理想を失い、夢を失い、未来を失う。そして、災害。住居を失い、故郷を失い、思い出を失う。長い人生で、私たちは何度も喪失を体験し、いろいろなグリーフを味わうことになるのです。
長い時間をかけて「あの人がいない日常」に適応していく
「日(ひ)にち薬」という言葉があります。つらい病気やケガも日にちがたてば自然と治ってくる、日にちが薬のように作用するんだよ、という言葉です。この言葉には一面の真理があるな、と感じています。
時がすべてを解決するわけではないけれども。
時がたちさえすれば、グリーフが消え去るわけではないけれども。
時の経過とともに、階段を上るようにグリーフから回復する、わけではないのだけれども。
でも時の経過とともに、「現れることの多いグリーフ反応」は移り変わっていくことが多く観察されています(まどろっこしい言い方ですね、すみません)。これを「グリーフのプロセス」といって、多くの人では下に示すような経過で「新しい日常」に適応していきます。
【グリーフのプロセスの一例】
※すべての人が同じルートを一律にたどるわけではありません。一足飛びに進んだり、一箇所で留まったり、行ったり来たりするのも普通のことです。
ショック、感情の麻痺:「頭が真っ白」「夢でも見ているみたい」
否認:「そんなはずはない」
怒り:「どうして救えなかったの!」
あり得ない願い:「何か事情があって姿を隠しているのかも」「まだ病院にいるのだ」
後悔・自責:「あのとき引き留めていれば」
深い悲しみ:「…いなくなってしまった、もう会えない…!!」
事実の容認:「本当に、死んでしまったのだ。それでも毎日は過ぎていくのだ」
再適応:「あなたのいない夏が来たのだなあ」「思い出の場所に行ってみよう」
「グリーフと向き合いながら新しい生活に取り組む」ことでプロセスは進む
生きている以上、喪失は必ず体験します。グリーフの苦しみを避けることはできません。でも、グリーフのプロセスが進めば、苦しみの質が少しずつ変わり、揺れ動く気持ちを無理に抑えず揺れるままにしておける──そんな時間が長くなってきます。
行きつ戻りつ、するけれども。
でも大丈夫。一歩一歩、進めるから。
繰り返しになりますが、生きている以上、グリーフの苦しみを避けることはできません。なので……、グリーフを抱えながら一歩一歩、前に進むために、どうするといいのかを知っておくと、きっといつか助けになるかも、と思うんですよね。
…というわけで、グリーフのプロセスを進めるために大事なことをご紹介します。一つは、急がなくてよいので、ちゃんとグリーフと向き合う時間を持つことです。
悲しい、つらい、感情を、しっかり見つめる。それを言葉にする。
そして…その感情をいったん脇に置いて、新しい日常、新しい生活に取り組んでみる。新しい生活に取り組む時間も、ちゃんと持つのです。
グリーフと向き合う時間と、新しい生活に取り組む時間。それを行きつ戻りつしながら過ごしていく中で、グリーフのプロセスは進んでいく。そして、いずれ、「あの人のいない日常」に適応していけるのだそうです。
「適応」っていう言葉、しっくり来ます。最悪の状態からは回復して、浮上して、忘れた状態になれる時間がどんどん増えて、でも完全に忘れきることはない。痛みが100%なくなることはない。だけど抱えていられる。抱えながら歩いていける。うん、まさに「適応」。
「絵と音楽、両方があってよかった」
ある展覧会に行った時のことです。森の中の樹々を描いた絵があって、作家さんがそばにいたので「素敵な樹ですね。どこの森ですか?」なんて話しかけたら、話をする中で、
「…だけど本当に、絵を描いていてよかったの。主人が亡くなって、ずっと泣いていたから」
こう、さらりと言われて。「……そうなんですね……」と、一緒に絵を見つめます。
「一人で森の中でスケッチしているでしょう? いくらでも泣けたから。周りも放っておいてくれるし。あなたも絵を描くのでしょう? こういうとき、絵はいいわよ」
「そうですか、スケッチ、よさそうですね」
「…だけど音楽もいいのよ! 私、合唱をやっているのだけれど、みんなと歌うとすっきりするの。あるとき大泣きしちゃって、楽しい曲なのに。みんなびっくりしたと思うけど。一度泣くと、開き直っちゃって、涙流しながら大声で歌って、すっきりして帰るの」
「すっきり! いいですね」
「そうよー、絵と音楽、両方があってよかった」
あの樹の森、我が家から1時間くらいで行けるところにあります。今度、スケッチしに行ってみよう。
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