高校生の時の話です。古典の授業中に、男子が言いました。
「なあ先生、古典の勉強って、何のためにするん? 古典なんてやっても、将来、何の役にも立たへんわ」
古典の先生は物静かなおじいさん先生で、ちらりほらりとする余談が奥深くて私は好きでした。ですが、ほとんどの生徒はろくに授業を聞いておらず、先生も特に注意をしないので、みんなだいたい寝るか、内職するか、おしゃべりするかという感じでした。
この発言をした男子も、真剣に「なぜ我々は古典を学ばなければならないのか!」と問うたわけではなくて、ちょっと先生にからんでみた、という程度。ほかの授業でも、先生方に同じようなことを言っては困らせていたような記憶があります。
(……確かに、何の役に立つということはないやろうなあ……)
(まあ、知っておいたら、古典や歴史が好きな人と話が盛り上がることがあるかもしれんけど、役に立つとしたら、それくらいかなあ……)
そんなことを思いながら、先生は何て言わはるのやろうと注目していたら、
先生はふっとため息をつき、
「教養は人生を豊かにします」
とおっしゃった。
そのあと、男子が何て返したのかとか、どんなふうに授業が進んでいったのかとか、今となっては何も思い出せないのだけれど。
でも、今でも折に触れて思い出す。
「教養は人生を豊かにします」
私は今でも毎日、人生には知らないことがこんなにもたくさんある、と驚かされる。60年近く生きてきたのに、本やブログやネットや新聞やテレビを見たり、人と話す中で、知らなかったことを知り、こんなにも知らないことが多いのか、新たに知ることができるのか、と感嘆する。
そのほとんどが、たぶん、この先の私の人生で直接何かの役に立つことはないのだけれど。
「ああ、知らなかったことを知ったなあ」
そう思えることが、私には喜びであり、
今日知ったこのことが、前に知ったあのことと結びついて、「こういうことなのか!」という発見につながったり、
「それならこれはどうなのだろう?」と調べたり、本を探したり、読み返したり、聞きに行ったり、見に行ったり、
そうして世界が広がっていく、そのことが私にはとても楽しいのです。
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