1月ももう4日、遅ればせながら明けましておめでとうございます。いかがお過ごしですか?
私は新年早々「いわゆる、五十肩……のようなものですね」と婉曲表現でお年頃の肩であると診断され、リハビリに通うことになりました。とほほ。人生の後半には、こういう「ちょっとした健康問題」も、いろいろ起きてくるものですね。
保険証やいろんな病医院の診察券(山ほどある)は、まとめてお気に入りのパスケースに入れています。このパスケースにはお守りも入れており、お守りに記された
少病少悩(しょうびょうしょうのう)
の文字を見て、やっぱりいい言葉だなあ~~としみじみ。この機会に改めて言葉の由来などを調べたのでシェアします!
「少病少悩」は病気や悩みが少なくあることを指す仏教用語
少病少悩のお守りですが、私は遊行寺(ゆぎょうじ、神奈川県藤沢市)で授けていただきました。遊行寺については、箱根駅伝8区の難所「遊行寺の急坂」で存在を知った人が多いかもしれませんね。境内には樹齢700年ともいわれる大イチョウがあり、お守りにもイチョウ柄があしらわれています。
私は「少病少悩」の文字を見て「わあー、いい言葉!」と感じ入ってお授けいただきましたが、このほかにも叶(かなう)御守や健康成就御守など様々なお守りをお授けいただけます。
さて、この「少病少悩」は、仏教の経典「法華経」に出てくる言葉です。仏教用語なのですね。
曰く、仏教の開祖である釈迦に、仏様たちが使いの者を送り、こう挨拶します。
「釈迦よ、少病少悩でいらっしゃいますか?」(意訳)と。
人生の後半は「無病息災」より「少病少悩」がしっくりくる
お釈迦様も含め、生きとし生けるものはすべて、生老病死の苦しみから逃れることはできません。病気をしない、悩み苦しむことがない、なんてことはできないのです。
だから、無病ではなく少病(少ない病)。悩みゼロではなく少悩(少ない悩み)なんですね。
人生も後半になると、五十肩のような軽微なものから深刻な病まで、様々な病を抱えて生きる人が多くなります。悩みのタネも尽きず、私たちが本当に無病になり、すべての悩み苦しみから解き放たれるのは、この世から去るときなんだろうな、と思います。
だからそれまでの間は、せめて「できるだけ、病気や悩みが少なくありますように」と願うばかり。
遊行寺の地蔵堂には「日限(ひぎり)地蔵菩薩」が安置されています。その胎内から「少病少悩」などの文字が見つかっているそうで、それが「少病少悩御守」の由来なのかなと思います。
今年もお守りを戴きに、遊行寺で地蔵菩薩様にお会いしてこようかな。
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